囲碁のタイトル戦で棋士が和服着てるのみたことないんですが、和服着る習慣が囲碁界にはないんですか?
将棋は日本生まれのゲームですが、囲碁の起源は中国にあるため、「日本固有の文化」というわけではありません。日本で活躍している棋士にも外国出身の人がたくさんいますし、西欧文化圏を含めた海外への普及活動も、おそらく将棋より盛んです。
そういったこともあり、棋士の方たちの間で、日本の文化であることが将棋ほどは意識されておらず、また、それを強調しすぎないことが何かと好都合だという側面もあるのかもしれません。
対局の様子などを見ていても、何かにつけ、将棋よりも「形式」にこだわらない風潮が、囲碁界にはあるようですね。それがなぜかまでは、よくわかりませんが。
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そうですね。囲碁も、何年か前までは畳での対局でしたし、他のタイトル戦では今でも大半が畳ですが、日本棋院に椅子用の対局室が設けられてから、NHK杯も変わりました。ちなみに治勲さんは、交通事故に遭われてから、足が痛むために畳での対局は苦痛だったようです。椅子になっていちばん助かっているのは、彼でしょう。ぼやきは相変わらずですが(笑)。
やはり、あくまでも相対的な話ですが、将棋は「形式主義」、囲碁は「実質主義」といった気がします。ふと思ったのですが、将棋では、何が何でも王様を守り抜かなくてはならないのに対して、囲碁では、大石を取られても、「じゃあこっちの地をもらうよ」とか「厚みができたからいいや」といった、「変わり身の早さ」が求められるのが関係しているかもしれませんね。
囲碁も将棋も、ルーツは大陸にあります。その点では同じです。
将棋は現状では日本のみで普及しているゲームであり、プロ棋士とその組織があるのも日本だけです。
囲碁も、プロ棋士とプロ組織があったのは、第二次大戦前は日本だけでした。
中国や韓国で囲碁が盛んになり、日本より強くなったのは、「日本からの逆輸入」の結果で、ごく最近のことです。
さて、ご質問の
『囲碁のタイトル戦で棋士が和服着てるのみたことないんですが、和服着る習慣が囲碁界にはないんですか?』
ですが、最初に「囲碁界でも、近年の依田九段は和服で対局することが多い」ことを申し上げておきます。
(1) 囲碁界
囲碁のタイトル戦では、昭和30年代までは「双方とも羽織袴を着ける」のが当然でした。
例えば、呉清源、藤沢朋斎、岩本薫、坂田栄男、藤沢秀行、梶原武雄と言った人たちは、「番勝負」では和服で対局することがほとんどであったはずです。
これは、そもそも、当時の日本では男性が和服を着るのがごく普通であったことを反映しています。
朝日新聞に連載されていた「サザエさん」を見ますと、連載開始の昭和20年代から、昭和40年辺りまでは、「平均的サラリーマン」という設定の波平さんやマスオさんは、仕事に行く時は背広を着て、帰宅後や休日は和服姿でした。
昭和40年を過ぎると、若い世代である波平さんやノリスケさんは常に洋服姿に変わりました。これは、時代の変化を反映したものです。
囲碁界でも、昭和40年代に入り、木谷實九段門下の大竹英雄や加藤正夫が20歳そこそこでタイトルに挑むようになると、年齢相応に「背広でタイトル戦を戦う」ことが増えたようです。これは「若い世代が和服を着る習慣が急速にすたれ、かつ背広の方が和服より安価である」ことを反映していたのでしょう。昭和40年代のタイトル戦の写真を見ると分ります。
なお、中国人であり、かつ昭和前半の囲碁界の第一人者に君臨した呉清源は、昭和3年に来日して以来、日本人同様に対局時には羽織袴、普段は絣の着物や背広など、日本人と全く同じ服装をしていました。
韓国・台湾などの出身の囲碁棋士がタイトル戦の常連になるのは、呉清源を除くと、25世本因坊 趙治勲が最初ですが、彼がタイトル戦や棋戦決勝戦に出てきたのは昭和50年頃です。「囲碁タイトル戦の服装が洋服に切り替わった時期」に当たります。
韓国人棋士・台湾人棋士の台頭と、タイトル戦の服装が和服から背広に切り替わったのは「何の関係もない」として良いでしょう。
現在では、囲碁のタイトル戦は「和室の畳の上で、スーツを着て対局する」のが普通になりました。
私の記憶では、25世本因坊治勲が、脚を悪くしてから久しぶりの七大タイトルとして十段位を獲得し、2期防衛した時 (十段戦5番勝負を4回戦いました) 、十段戦は最初の3戦程度が地方対局、後は日本棋院での対局になりますが、日本棋院での対局の際は、タイトル戦番勝負ですから本来は「幽玄の間」を使うべき所ですが、25世本因坊の脚の負担を考慮して、日本棋院7階の、特別対局室(椅子席) を使用していたと記憶します。
(2) 将棋界
将棋界では「タイトル戦、棋戦決勝戦等の重要な対局では、双方とも和服を着る」ことが「暗黙のルール」となっています。「順位戦での昇級がかかった一局」などで、気合いを入れるために和服を着ることも珍しくありません。
ただし「タイトル戦等の重要な対局での和服着用」は明文化されたルールではないので、
* 加藤一二三 元名人
* 故 村山聖 九段
など、タイトル戦でスーツを着た棋士も存在します。
村山九段は「和服の用意が間に合わず、生涯一度のタイトル戦で、師匠から借りたスーツを着た。第二局以降では師匠から贈られた和服を着けた」という事情があったようですが、加藤元名人は、何らかのポリシーを持って、あえてスーツでタイトル戦に臨んでいたようです。
将棋女流棋士の場合は、タイトル戦等の重要な対局でも洋服での対局が普通です。
ただ、女流棋士の強豪の中で、矢内理絵子 元女王は、和服 (振り袖に袴) でタイトル戦等の重要な対局に臨むのをポリシーとしています。その影響か、矢内さんが女王として二回の防衛戦を戦った時は、挑戦者の岩根忍二段、甲斐智美 現女王のいずれも、矢内さんに合わせて和服を着用しました。
女流棋界の第一人者である清水市代 女流王将は、相手が和服でも洋服で対局するポリシーのようです。奇抜なデザインの洋服を着用することで知られています。
ただし、タイトル戦後の就位式では振袖を着るのが普通で、タイトル戦以外で着る洋服は普通のデザインですので、「タイトル戦で着る奇抜なデザインの洋服」は、清水さんのこだわりであるようです。
女流棋士の場合、男性の棋士より収入が少ないので、和服をいくつも揃えるのは大変だろうと思われますが、もしかすると今後は「双方、振袖に袴を着けてのタイトル戦」が増えるかもしれません。
例えば、本因坊戦という棋戦があります。その本因坊というタイトルをとる時に使う幽玄の間という部屋があります。
その部屋なんかは、畳に座椅子と、足付きの碁盤ですね。そのほか、日本棋院でのプロの対局は畳が多いのでは?
NHKが録り易いように椅子にしたのではないでしょうか?
それと、多くの対局や、本を見ていると、和服の方も結構見ますよ
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